他人の成功に揺れる時|比較を自分の願いの地図に変える

SNSを開いて、何気なくタイムラインをスクロールしていたら、知り合いの誰かが、新しい仕事を始めたという報告を見かけた。その瞬間、胸の奥が、ぎゅっと重くなる。「おめでとう」という言葉を、頭ではすぐに思いつくのに、心がついていかない。
そのあと、しばらく、なんとも言えない気持ちが続く。羨ましいのか、悔しいのか、それとも自分にがっかりしているのか、よくわからない、もやもやとした感覚。そして最後には、「こんな気持ちになる自分は、嫌な人間なんじゃないか」と、自分を責めてしまう。
でも、人の成功を見て心が揺れることは、決して特別なことでも、悪いことでもありません。それは、ごく自然な心の動きであり、しかも、あなたの本当の願いを教えてくれる、貴重なヒントでもあるのです。
人の成功を見て落ち込むのは自然なこと
人と自分を比べてしまう心の動きは、多くの人が持っている、ごく一般的な反応です。これは、あなたの性格が悪いからでも、心が狭いからでもありません。
私たちは、もともと、周りの人たちと自分の位置を確認しながら生きてきた生き物です。誰かが前に進んでいるのを見ると、「自分は今、どこにいるのだろう」と、無意識に確認したくなる。これは、生き延びるための、自然な仕組みの一部でもあります。
問題があるのは、比較すること自体ではありません。問題は、比較したあとに、その気持ちを「悪いもの」として扱い、自分を責めてしまうことです。比較から生まれた感情を、そのまま放置せず、否定もせず、丁寧に見てあげることができれば、その感情は、思っているよりずっと役に立つものに変わっていきます。
比較の奥には「私も欲しい」が隠れている
ここで、一つ、大切な視点をお伝えします。誰かの成功を見て、心がざわつくとき、その奥には、たいてい「私も、それが欲しい」という、本音が隠れています。
まったく興味のない分野で成功した人を見ても、私たちの心は、それほど揺れません。たとえば、自分が一切興味のないスポーツの大会で、知らない誰かが優勝したというニュースを見ても、心はほとんど動かないはずです。
逆に、強く心が揺れるのは、その人の状況に、自分の願いと重なる部分があるからです。誰かの自由な働き方を見て揺れるなら、自分の中にも「自由に働きたい」という願いがある。誰かの幸せそうな関係を見て揺れるなら、自分の中にも「そんな関係を持ちたい」という願いがある。
つまり、比較によって生まれた感情は、「あなたが何を望んでいるか」を示す、貴重な地図のようなものなのです。
嫉妬を責めると、本音まで閉じてしまう
ここで気をつけたいのは、嫉妬や羨ましさという感情そのものを、「醜い感情」として責めてしまうことです。
「人の幸せを羨ましく思うなんて、自分は心が狭い」と、その感情に蓋をしようとすると、せっかく見えかけていた本音までも、一緒に隠れてしまいます。感情を否定すればするほど、その感情が教えてくれていたはずの願いも、見えにくくなってしまうのです。
嫉妬や羨ましさは、決して醜い感情ではありません。それは、「私も、まだ諦めていない」という、内側からのメッセージです。本当にもう興味がなくなったことに対しては、嫉妬という感情自体が起こりません。嫉妬を感じるということは、その願いが、まだあなたの中で、ちゃんと生きているということなのです。
うらやましさを願いに翻訳する
では、その感情を、どうやって本音へと翻訳していけばいいのでしょうか。
まず、自分にこう問いかけてみてください。「あの人の、何が、いちばん羨ましかったのだろう」。仕事の内容そのものではなく、自由な時間の使い方が羨ましかったのかもしれません。成功という結果ではなく、誰かに認められている安心感が羨ましかったのかもしれません。
その「何が」がはっきりしてきたら、次に、こう問いかけます。「私も、その感覚を、自分の人生に取り入れることはできるだろうか」。
ここで大切なのは、その人と同じ形を、そのままコピーしようとしないことです。あなたが本当に欲しいのは、その人の人生そのものではなく、その人の状況の中にあった「ある感覚」だけです。形は違っていても、その感覚を、自分なりの道で受け取ることは、十分に可能です。
比較で終わらせない一行ワーク
最後に、人の成功を見て心がざわついたときに、すぐに使える、小さなワークをご紹介します。
その出来事があった日に、ノートに、こう書いてみてください。
一行目、「今日、誰の、どんな様子を見て、心が揺れましたか」。 二行目、「その中で、いちばん羨ましかったのは、どんな部分でしたか」。 三行目、「私も、その感覚を、自分なりの形で受け取れるとしたら、どんな一歩から始められますか」。
すべての答えが、すぐに明確に出なくてもかまいません。書いているうちに、最初はよくわからなかった気持ちが、少しずつ言葉になっていくこともあります。
比較は、止めようとしても、なかなか完全には止まらないものです。それなら、止めることを目指すよりも、比較が起きたときに、それを自分の願いの地図として、上手に使ってあげる。そう考え方を変えるだけで、人の成功を見るたびに苦しくなっていた時間が、少しずつ、自分自身を知るための時間に変わっていきます。





